卒業生特集
Ostü(オストゥ)
オーナーシェフ
宮根 正人さん
調理師科(1993年卒)
埼玉県立狭山清陵高等学校出身
日常生活にしっかり根付いたイタリア郷土料理の力強さ。
その魅力を日本で再現し、多くの人に楽しんでほしい。
都心に豊かな緑を残す代々木公園、その近くにある一ツ星レストランが「Ostü(オストゥ)」です。店名はイタリアの方言で「オステリア(食堂)」を意味し、オーナーシェフの宮根正人さんが「気軽に食事を楽しめる店」との思いを込めたそう。武蔵野卒業後、日本の老舗イタリア料理などを経てイタリアで修業。現地で出合った北イタリア・ビエモンテ州の郷土料理を日本で再現する宮根さんは、なぜ料理の道に進んだのでしょうか?
母の言葉で就職をやめ、武蔵野に入学を決めた
好きな料理は趣味でいい、まずは就職して自活したいと考えていた宮根 さん。それが武蔵野への進学に変わったのは、小さい頃から一緒に料理をつ くり、自分を一番近くで見てきた母の言葉だったそうです。
小学生の時はおいしかった給食の材料や味付けを覚えて、同じような料理を自宅で母と一緒につくることもしばしば。それくらい食べること、料理をすることが好きでしたね。しかしその後、料理人の厳しい世界をドキュメンタリー番組などで知り、高校時代には「料理は趣味」という意識に。卒業後は仕事にこだわらず就職して、早く自活するつもりでした。 そんな私を変えたのが「、昔から料理が好きで今まで続けたのに、その道に挑戦しないのか」という母の助言。私自身もどこか割り切れていなかったのでしょう。言葉は心に響き、方針を変更。面接一歩手前だった会社は辞退し て、改めて調理師専門学校を探して武蔵野に入学したのです。
学校では、安全な料理を提供するための衛生管理、特別講師から感じる独特の緊張感などから「、真剣に取り組まないとだめだ」といつも気持ちを引き締めていました。さらに自分でも業界を勉強しようと、飲食店に限定してアルバイトを続けました。その中でイタリア料理に興味を持ち、代官山の「アントニオ」という老舗のイタリア料理店に就職したんです。
イタリアでコミュニケーションの重要性を痛感
イタリア料理店に勤めて現地に行きたいとの思いが強まり、26歳でイタリアに渡った宮根さん。最初は言葉もうまく話せず、とても苦労したそうで す。その後に出合った理想の料理が宮根さんの将来を決めました。
「アントニオ」はシチリア出身の男性がオーナーシェフ、料理人の多くもイタリア修業経験ありという本格的な店。そこで数年働くと、私もイタリアに行くの が当然と思えてきました。しかし店の先輩からは「行くのは経験を積む手段。目的は戻った後に自分がどうなれるかだよ」とアドバイスされ、しばらく延期。その後「アントニオ」を出て別の店を2年経験して、我慢できずイタリアに渡ったのが26歳の時です。勤めたのはミラノの南にあるロンバルディア州の店。最初は言葉が通じずとても苦労しましたね。日本での料理経験もうまく活かせず、悔しくて必死に言葉を覚えるうちに1年が過ぎて、ビザの関係で別の店を探すことになったんです。
現地の郷土料理、いわばイタリア料理の原型を勉強したかった私は、現地のつながりを通して、北イタリア・ピエモンテ州にある「ロカンダ・ネル・ボルゴアンティーコ」という店を探し当てました。現地で長く愛されてきたシェフの料理は、伝統に裏付けられた説得力や確かな主張を感じるもの。私もそういう料理をつくりたいと強く思い、5年間修業したのです。